七宝焼き、
その伝統と美

歴史

ここでは、七宝焼きの歴史と、
なぜ特別に尾張七宝が美しいのか、
それをご説明します。
七宝焼きが贈答品として喜ばれたのは、
美を追求した職人たちの歴史がありました。

起源

七宝の起源は古く、古代エジプトにおいて、すでにその同類が見られ、わが国でも奈良時代には正倉院御物「金銀七宝十二稜鏡」など、素晴らしい作品ができています。その後、江戸時代初期のころ、京都の七宝師である平田道仁により、その技法が伝えられましたが、現在その系統の作品はほとんど残っていません。
現在日本において製作されている七宝は、江戸時代後期に、尾張服部村の梶常吉によって再び生み出されたものが起源となっています。そこから、技術や釉薬に多くの職人による研究が重ねられ、今日に及んでいます。

受け継がれる伝統

魅力

「七宝」という名称は、その美しさが仏典に謳う七宝の貴品(金、銀、瑠璃、瑪瑙、蝦蛄、まい瑰、真珠)のような美しさを持つために名付けられたと推測されます。
特に、現在の愛知県あま市七宝町で作られた尾張七宝は、梶常吉にはじまり現在まで継承されてきた、日本の七宝の本流で、積み重ねられた経験と職人による技術の発展により、抜きんでて美しいといわれています。